ヘリーです。
今日のテーマは「教育」
“教え育てる”とかいて「教育」ですが、子供には何でも教えてあげるべきか?
最近、そのことについて少し考えさせられる出来事がありました。
- 子供の想像力
- 事実より大切なこと
子供の想像力
11月初旬の朝、バス停に向う道中でのこと…
娘「あっ!セミの抜けガラだ!」
私「ホントだね」
娘「セミさんは冬の間どこにいるのかなぁ?」
私「寒いから土の中で夏を待ってるんじゃないかな」
娘「じゃあこの抜けガラは、持って帰るのを忘れたんじゃない?」
私「そうかもしれないね」
娘「わたしは上着きてるから大丈夫だけど、セミさん寒いんじゃないかなぁ?」
私「ホントだね。困ってるかもしれないね」
娘「見つけやすいように、この石の上に置いといてあげようか!」
私「見つかるといいね」
・・・ここからは、今朝の出来事
そんなやり取りがあったことをスッカリ忘れていた私に娘が言います。
娘「セミさんの抜けガラなくなってたね。取りにきたのかなぁ?」
私「そうやね。今ごろ『見つかって良かった』って言ってるかもね」
娘「そうかぁ。よかったね(^^)」
娘「土の中では何してるのかなぁ?みんなで鳴く練習してるのかなぁ?」
こんな何気ないやり取りでしたが、娘の発言には、「教えること」について考えさせられるものがありました。
事実より大切なこと
娘に事実を知ってもらおうとすると、こう伝えればいいのかもしれません。
「セミは大人になったら、抜けガラはいらなくなるんだ。それに、土の中に帰ることもないんだよ。」
でも、それじゃあまりに味気ない気がしました。
「土の中から出てきたセミが、夏が終わり土の中に帰っていく時に、自分の服(抜けガラ)を忘れていってしまった。」
私は、この子供らしくやわらかい発想を純粋にスゴいと思いましたし、セミが寒いのではないかと心配する姿に、心があたたかくなりました。
成長していけば、いつか娘も「抜けガラは要らない」、「土の中にも帰らない」ということに気づきます。でも、そのことに気がつくまで、娘には色々なことを自由に考えて、楽しく過ごして欲しい。
私には、ただ事実を伝えることはできても、子供たちがするような楽しい発想を教えることはできない。
そんなことを考えていると、「何でも教えてあげること=教育ではない」気がしました。
私も子供たちから色んなことを日々教えてもらっている。
その気持ちを忘れずに、これからも子供たちと一緒に成長していきたいと思います。
明日も、しあわせな1日が待っています。