初投稿のテーマは、ページタイトルにもある「しあわせ」について。
あらためて、自分なりに「しあわせ」について考えてみました。
今の私なりの結論は、
しあわせとは、「日々のめぐり合いに感謝できる。」状態のこと。
う~ん。 分かるような・・・分からないような・・・
以下、くわしく書いてみます。
- 「しあわせ」とは何か?
- 「しあわせ」の見つけ方
- 「しあわせ」になる方法
- 「しあわせ」の見つけ方
「しあわせ」とは何か?
そもそも「しあわせ」とは何なのでしょう?
①しあわせの語源
元々は「めぐり合わせ」という意味で、
しあわせが良い=めぐり合わせが良い
しあわせが悪い=めぐり合わせが悪い
のように使われていたそうです。
今でも、しあわせの意味を調べると
「めぐり合わせ」と出てきますよ。
この「めぐり合わせ」が、しあわせのキーワードです。
②しあわせな状態
続いて、しあわせと言えば有名なこの言葉。
手のひらのしわとしわを合わせて「しあわせ」
聞いたことがある人も多いですよね。
でもこれって、しわとしわを合わせたら、
しあわせになれるってことでしょうか?
…違いますよね(^^;
この言葉の真意は「手を合わせた状態=しあわせ」ということ。
少しずつ、しあわせの正体に近づいてきたのではないでしょうか。
では次に、手を合わせるのってどんな時か考えてみましょう。
③手を合わせるってどんな時?
それは…「感謝する」時。
例えば、
「いただきます」を言う時…
肉や魚、野菜を食べること、
それは動植物の命をいただくということです。
そのことに「感謝して」私達は手を合わせます。
「手を合わせること=しあわせ」ということは、
祈願の前に、いつも見守ってくれてることにまず。
「手を合わせること=しあわせ」ということは、
感謝している時、人は「しあわせ」だということです。
では、しあわせになるためには何に感謝をするのか?
それが、さっきのキーワード「めぐり合わせ」です。
これがわたしが考える「しあわせ」の正体、
「日々のめぐり合いに感謝できる。」ことです。
「しあわせ」の見つけ方
あらためて考えると、
私たちは常に「めぐり合わせ」の中で生きています。
・ごはんを食べる
→誰かが作ってくれたから
→自分が食べたくなって作ったから
→材料があったから etc.
・モノを見る
→たまたま気になって見たモノ
→目の前に現れたモノ etc.
・人に会う
→道ばたで会った人
→職場、学校で会う人
→毎日会う家族だって、元々は大きなめぐり合いですね。
・学校に行く(その学校にめぐり会えたから)
・仕事に行く(その仕事にめぐり会えたから)
何気ない日常のすべてが「めぐり合わせ」、
そして、その全てはしあわせの源です。
「しあわせ」になる方法
日常のすべては「めぐり合わせ」であり、
「めぐり合わせに感謝できること」が「しあわせ」であるなら、
しあわせかどうかを決めるのは、私達の考え方次第。
例えば、食事であっても
・所詮毎日のこと…と何も思わずに食べるのか
・美味しいと思ったり、食べられることに感謝して食べるのか
食事に対する捉え方次第です。
日常の「めぐり合わせ」に、
無関心だったり、腹を立てたり、嘆いてばかりいたら…
それじゃきっと「しあわせ」ではありません。
周りの人、仕事、食事とか、一見当たり前に思える「めぐり合わせ」
そのすべてを楽しめたり、それに感謝できる人がいるとしたら、
きっと、その人は「しあわせ」です。
■「しあわせ」になる考え方
頭では考えてみたけど、今の私は
すべての「めぐり合わせ」に感謝なんて、できていない。
これからは、このブログを通して、
今まで気にも留めなかった日常の「めぐり合わせ」について考え、
それをどのように捉えたら良いのか
自分なりに考えていきたい。
どのように捉えるかは、完全に私の自由だし、
自由に決めて良いのなら、自分にとってトコトン良いように捉えれば、
最高なんじゃないか!?という気がしている。
これから、どんな「めぐり合わせ」があるかワクワクする。
明日も、しあわせな一日が待っています。