ヘリーです。
お盆も終わり、いよいよ夏も終盤ですね。
お盆と言えば、わが家ではこんな出来事がありました。
不幸と言うと、かなり大げさですが(^_^;)
家族そろってお盆ダイヤでバスに乗り遅れました。
目的のバスを逃がした私の周りでは、
こんなやり取りが、繰り広げられます…。
- しあわせか、不幸か、決めるのは自分
- しあわせと不幸の違いはどこからくるのか
- 不幸をしあわせに変える方法とは
しあわせか、不幸か、決めるのは自分
夫「うわぁ〜、お盆ダイヤやん!最悪・・・」と、
イライラする夫を尻目に、
娘「やったー!次のバスが来るまでセミ探せるね!」
息子「うん!やったねー!」
よろこび全開の子供たち。
「バスに乗り遅れた」という全く同じ出来事に対して、
かたや、バス停でイライラする夫。
かたや、嬉々としてセミを探し始める子供たち。
もちろん大人と子供で事情は違いますが、
こんなにも捉え方が変わるものなんだと、
子供たちに教えられた気がします。
しあわせと不幸の違いはどこからくるのか
バスに乗り遅れたからできた「次のバスを待つ時間」。
そして、その時間は誰にも平等です。
では、それに対する夫と子供たちの
気持ちの違いはどうして生まれるのか?
その答えは、
同じ物(時間)でも「何と結びつけるか」によって、
それが持つ意味が変わってくるからです。
例えば、夫の場合
「次のバスを待つ時間」を、
「仕事に遅れるかもしれないというマイナス」と結びつけた結果、
気持ちが焦りイライラする時間になってしまった。
一方で、子供たちは
同じ時間を、「セミ取りという大好きなこと」と結びつけた結果、
その時間が楽しいものになり、嬉々としていた。
ちょっとしたことですが、このような考え方の違いが
しあわせか、不幸かを分けるのではないでしょうか。
不幸をしあわせに変える方法とは
では、夫の立場からだと、「バス待ちの時間」を
どのようなものと結び付ければ、意味が変わったのでしょうか。
たとえば、仕事に行く前に少しでも長く家族と一緒に過ごせる。
あるいは、子供たちと一緒にセミ探しをすることだってできる。
バスに乗り遅れたのは仕方ないと割り切って、
良いことと結びつけさえすれば、
その時間が持つ意味も変わってくるはずです。
前の記事でも書いたとおり、
すべての出来事は自分に必要だから起こっています。
今日書いた考え方も、バスに乗り遅れたおかげで気づくことができました。
それを気づかせてくれるためにも、
「バスに乗り遅れること」は、わが家にとって必要なことだったんです。
明日からも私達の周りで起こることはすべて、
私達にとって必要なことばかりです。
結び付けるものに気を付けながら、豊かに過ごしましょう(^^)
明日も、しあわせな一日が待っています。